2019年4月19日、全国各地の日独協会が集まり日独交流について話し合う、全国日独協会連合会年次総会が新潟で開催されました!
通常は、東京開催と地方開催を1年ごとに交互に行いますが、昨年の金沢開催に続いて2年連続の地方開催となりました。
新潟市は、明治の開港5港の一つで開港150周年を迎えています。また、翌日4月20日には、新潟ドイツ領事館跡記念碑建立除幕式を開催するため、今回特別に新潟開催をする運びとなりました。
当日は、全国各地とドイツから、20を超える日独協会と独日協会の代表の皆様が集まりました。
そして、駐日ドイツ首席公使のDr.クラウス・フィーツェ様、独日協会連合会会長のDr.フォルカー・シュタンツェル様にもお越しいただき、ご祝辞をいただきました。
ご祝辞の中では、日独の交流について、私たちの身近にオリンピックのホストタウンになってドイツを迎えている市町村があること、Twitterなどを活用した情報発信をしていること、活用してほしいこと、若いアーティストたちによる巡回アート展を開催していること、そして新潟ドイツ領事館跡記念碑建立の取り組みなど市民レベルの取り組みを続けてほしいことなどのお話がありました。
ドイツ大使館 (@GermanyinJapan) | Twitter はこちら → https://twitter.com/germanyinjapan
全国日独協会連合会が支援する日独ユースネットワークの活動報告もありました。
新潟日独協会のホームページ&SNS担当である本記事執筆担当者は、青年部(若手の会)の代表も兼ねているので、とても興味深く活動報告を聞いていました。
(以前、活動開始初期にお話を伺ったことはありましたが、直接参加したことは今までありませんでした…。)
日独ユースネットワークの情報はこちら↓
https://jg-youth.net/
https://www.facebook.com/jgyouthnetwork/
日独ユースネットワークでは、以下のようなイベントを主催しているそうです。
新潟日独協会の青年部(若手の会)でも、そろそろ参加を検討したいなと思いました。
★JG-Youth Connect in Kagawa
全国のメンバーによる1年に1回の総会です。通常はオンライン(インターネット)を中心に交流していて、各地の若者の会と事務局が中心になって運営しているそうです。2018年度は、①コネクトミーティング②トークセッション③懇親会④エクスカーションなどを行い、総勢30名の参加だったそうです。
★Hallo Japan 2018
日本とドイツの交互開催で、ドイツ側はDJJGが主催しています。8~9月の約10日間を、合宿形式でさまざまなことを議論するそうです。テーマは「情報社会と多様性」で政治・教育・文化など5分野と多岐にわたっています。参加者は25名ですが、毎回、応募多数のため選抜制とのこと。
★ドイツワイン特別講座交流会を初開催
ボン大学留学経験の学生が主体となり、気軽にカジュアルにドイツワインを楽しみたいという会です。参加者は総勢50名で、ドイツに縁のなかった一般の方も参加を認めていて、日独交流のすそ野が広がってきているそうです。
日独ユースネットワークの会員資格は、いずれかの日独協会の会員(45歳以下)であることです。もちろん、新潟日独協会の会員であれば、日独ユースネットワークの会員資格があります。現在の会員数は33名です。興味がある方は、ぜひ日独ユースネットワーク事務局や新潟日独協会にお声掛けください!
午後は、基調講演の部です。
大阪大学文学部名誉教授の神林恒道氏(*)をお迎えし、「新潟とドイツ~医学との関わりをめぐって」と題してご講演いただきました。
*このほか日本美術教育学会会長、會津八一記念館館長、にいがた文化の記憶館館長
新潟は、国宝がない県と言われてきたほど、金沢など近隣と比べて文化が育たない県でしたが、北前船などにより文化が育ってきました。そうした中で、ドイツが日本に影響を与えた分野の一つに医学があるというお話でした。
ご講演では、新潟にゆかりのある6名が紹介されました。
①石黒忠悳:軍医総監として頂点を極めた。妖怪博士の井上円了を育てた。
②池田謙斎:緒方洪庵の養子。日本で最初の医学博士。明治天皇の侍医。医学専門学校(新潟大学医学部の前身)を設立。
③司馬凌海:日本で最初のドイツ語辞書『和訳独逸辞典』出版。語学の天才で、医学用語の翻訳造語も。
④長谷川泰:済生学舎(野口英世などを輩出、開業試験のための予備校)創設。
⑤小金井良清:米百俵の故事で知られる国漢学校創設者・小林虎三郎の甥。解剖学者・人類学者。
⑥入沢達吉:ヒポクラテスの誓いを最初に取り入れた人物。
日本に西洋医学が最初に入ってきたのは、八代将軍吉宗の時代とのことです。漢学=漢方医、蘭学=蘭方医(杉田玄白が翻訳)とされたこの時代に、ジーボルト(シーボルト)が日本にやってきて、芸術・文化・自然に興味を持ったそうです。
オランダ人のみが長崎の出島にのみ寄港できた時代に、ドイツ人のジーボルト(シーボルト)は、オランダ人と偽って日本に入っていたそうです。しかし、日本人の通訳も意外と耳が良く、ジーボルトが話すオランダ語のおかしさに気が付いたそうです。そのときのジーボルトは、(海岸側のオランダ語ではなく)「山オランダ語」なんだと言い訳をしたとかしないとか。
そんな逸話があったことが新鮮な驚きでした!
また、新潟の医学者たちに関連して、石黒忠悳が育てたという「井上円了」についてもご紹介されました。「人間の心の文明開化」という思想を持っていて、釈迦、孔子、ソクラテス、カントを哲学堂にてお祀りし、その後東洋大学の開学につながったそうです。
一方、井上円了の師である石黒忠悳は、佐久間象山と激論の末に敗れ、西洋に立ち向かうためには西洋の知識を学ぶ必要があることに気づき、西洋医学を学びに行ったそうです。
勝海舟(柏崎出身の米山検校の曽孫)と坂本龍馬の出会いの元ネタは、この石黒忠悳と佐久間象山の激論にあるのではないかとの説もあるとのこと。これも驚きでした!
池田謙斎は、日本の医学制度の第一号で、明治天皇の侍医になった方だそうです。
医学専門学校が最初にできたのは5校で、石黒忠悳らの尽力により、6校目にできたのが新潟とのこと。
最後に、司馬凌海です。
語学の天才で、最初に学んだ外国語はオランダ語でした。実は、現代でいうところのアスペルガー症候群を持っていたのではないかともいわれているそうです。
逸話の例がいくつか挙がりましたが、例えば、「タンパク質(eiweiß)は、(Ei=卵=ピータン)+(weiß=白)+(の物)質」や「窒素=窒息(する元素)」などと、同時通訳をしているときに、即座に翻訳造語していったそうです。
また、講義内容を漢文に翻訳したとの逸話もあるくらいの語学の天才で、日本で最初のドイツ語塾「春風社」とドイツ語辞典(現在は三修社による復刻版)を作った人物です。その後、名古屋大学医学部を創設した。
このほか、ヒポクラテスの誓いを最初に取り入れた入沢達吉や済生学舎(野口英世などを輩出、開業試験のための予備校)創設の長谷川泰、米百俵で作った国漢学校創設者・小林虎三郎の甥である小金井良清など、さまざまな医学関係者のご紹介がありました。すべてはご紹介できず大変残念ですが、新潟は、日本の医学界に貢献された方を大勢輩出しているのですね。
全国各地の日独協会の方に、新潟と医学のつながりをご紹介できてよかったと思うのと同時に、私たち新潟日独協会の会員にとっても、初めて聞くお話もあったりしてよかったなと思いました。
基調講演の後は、新潟にゆかりのある2名の講師から、記念講演をしていただきました。
1.カール・ベンクス氏(建築デザイナー、新潟日独協会顧問)
演題 「古民家再生への取組」
2.佐藤 歩氏(ボッシュ株式会社)
演題 「新潟大学―Magdeburg大学交流の影響力」
カール・ベンクス氏は、日本の古民家の魅力に感じドイツから日本に移住してきた取り組みを、佐藤歩氏は、ドイツ系企業への就職に大きな影響を与えた、新潟大学在学中のMagdeburg大学との交流事業などについてお話しくださいました。
総会・講演・各地活動報告など一連の総会議事終了後は、いよいよ懇親会です。
新潟の美酒・美味をご堪能いただきました!
また、新潟日独協会会長の渡辺隆から、ご参加いただいた皆様に御礼申し上げました。
さて、総会の議事、懇親会等の様子は、全国日独協会連合会の事務局から適宜発信されると思いますが、主管である当新潟日独協会がかかわるところまでご紹介いたしました。
全国各地の日独協会およびドイツ大使館・独日協会の皆様、新潟をお楽しみいただけましたでしょうか。
いかんせん、本業と掛け持ちで少人数の事務局体制で運営していたため、不手際も多々あったかと思います。
ぜひ、新潟を好きになっていただき、再びお越しくださる日を楽しみにしております!
また、運営スタッフの皆さん、お疲れさまでした!ありがとうございました!