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【クラウドファンディングの記録⑥】新潟ドイツ領事館について②

*クラウドファンディングの際に、Readyfor様のWEBサイトを通じて投稿した内容を、記録のため再編集し掲載しました。

 一部表現が、クラウドファンディング用のままとなっておりますが、ご容赦ください。

*現在、クラウドファンディングによる募集は終了しており、通常の寄付募集のみ行っております。

 記念碑建立の趣意書および寄付先はこちら→新潟ドイツ領事館跡記念碑建立

皆さん、こんばんは!

前回に引き続き、ライスナーが着任してからの領事館についてご紹介します。

 

1869年(明治2年)に開設された在新潟ドイツ領事館は、4つの性格(役割)がありました。

 

1.領事ライスナーは一義的には商人であった。

2.ライスナーの領事活動・商業活動・生活の場はほぼ一体であった。

3.ライスナーはほぼ13年間にわたって継続的に新潟に在住した。

4.ライスナーが領事として保護したドイツ居留民は5名だった。

領事ライスナーは一義的には商人であった?!

「領事とはいえ名誉職であり、(略)公的施設が用意されることはなく、家屋敷は自ら工面した」そうです。また、「領事としての報酬を得ていた形跡もない」そうです。

 

裕福な有力商家に生まれたライスナーといえど、現代とはヒト・モノ・金・情報が揃っていない明治初期の日本で、どのような苦労をしたのか察するに余りあります。しかも、若干29歳であればなおさらです。

 

ライスナーは、「当初から同国商人のウェーバーとパートナーを組んでウェーバー・ライスナー商会(Weber, Leysner & Co.)を営んだ」そうです。

ライスナーの領事活動・商業活動・生活の場はほぼ一体であった

前述のとおり、政府公館のような公的施設が用意されることはなく、家屋敷を自ら工面した結果、「外観・造りは基本的に一般日本民家そのものであった」ようです。 

 

「外国人居留地がなかった新潟ではその後もわずかな洋館しか建てられなかった」そうで、横浜や神戸などとは異なる新潟の特徴ではないかなと思います。

(たしかに神戸や函館の外国人居留地に観光に行ったときは、お洒落な洋館の数々に魅了されました。)

ライスナーはほぼ13年間にわたって継続的に新潟に在住した

今となっては、外国人の方が日本国内を旅行したり、ビジネスで出張したりする風景は違和感がありませんが、明治初期は事情が違ったようです。

「当時、外国人による国内旅行には厳しい規制が課されており、外国人遊歩区域を越えた内地旅行には事前許可が必要だった」そうです。


国内旅行が厳しいのは想像に難くないですが、「外国人遊歩区域」というのがあったんですね。どうやら、開港場から約40kmの範囲をいうようです。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ライスナーが領事として保護したドイツ居留民は5名だった

明治前期の新潟に居留したドイツ人は、「短期の滞在で確認困難な者」と「佐渡にいた日本政府雇用の1名」を除いて、5名いたそうです。 

  

 

氏名

ウェーバー

ライスナー

コッホ

フィッシャー

ヘーニンクハウス

 

(Arthur Richard Weber)

(Adolph Leysner)

(Heinrich Koch)

(Visscher van Gaasbeck)

(Heinrich Hoeninghaus)

居留期間

1869~1876

1869~1882

1875/76~1885

1875/76~1883/84

1879/80~1883/84


 

5名はすべて交易商人で、「開港後の新潟にはまもなく約20名程度の外国商人らが来港したが、その大半が1、2年のうちに新潟を去ってしまった」そうです。「他の開港場と比較すれば人数自体は微々たるものではあったが、新潟はドイツ商人の独壇場であった」そうです。

 

新潟とドイツのかかわりは、ここから始まったといっても過言ではないかもしれませんね。

(実は、新潟県は、いくつかの大手ビールメーカーの創立に深くかかわった方の出身地でもあり、ドイツにビール醸造を学びに行くなど、商業面でのドイツとのかかわりは非常に深い県でもあります。)

やはりこの功績を伝えていきたい

このように歴史を振り返ってみると、神戸・箱館(函館)・長崎・横浜ほどの目立った規模や功績はないものの、若干29歳の青年が、異国の地・新潟で活動し、新潟の発展に貢献してきたことを、もっと市民・県民に知っていただきたいとの想いが新たになりました!

 

さて、次回は、領事館の閉鎖(領事の離任と帰国)についてご紹介します。 

 

 

 

<参考文献>

『在新潟ドイツ領事館について』(青柳正俊、新潟県立歴史博物館研究紀要 第18号 別冊(2017年))

*当協会会員の歴史研究報告論文から引用しながら、私なりの言葉でご紹介しました。