*クラウドファンディングの際に、Readyfor様のWEBサイトを通じて投稿した内容を、記録のため再編集し掲載しました。
一部表現が、クラウドファンディング用のままとなっておりますが、ご容赦ください。
*現在、クラウドファンディングによる募集は終了しており、通常の寄付募集のみ行っております。
記念碑建立の趣意書および寄付先はこちら→新潟ドイツ領事館跡記念碑建立
皆さん、こんばんは!
新潟日独協会のことをまずは知っていただきたいと思い、2日目にしてすでに2つの行事を紹介してきましたが、肝心の新潟ドイツ領事館やドイツ人領事ライスナーについてもご紹介しなければなりません。
今日から、当協会のことと並行して、少しずつ紹介していこうと思います。
文献の性格上、文字が多くなってしまいますが、読んでいただけたら嬉しいです(^o^)
新潟領事ライスナーって誰?
ライスナーは、フルネームで「カール・エーミール・アドルフ・ライスナー(Carl Emil Adolph Leysner)」といい、1840年8月7日、ドイツ西部のクレーフェルト市で生まれました。
1863年に単身オランダに移ったり、1866年にすでに一度来日していて、トラウトマン商会(Trautmann & Co.)あるいはテクストール商会(Textor & Co.)といったドイツ系商社に勤めていたとの記録がわずかに残っています。
クレーフェルト市ってどういうところ?
ライスナーが生まれたクレーフェルト市は、「17世紀初頭にプロイセンに帰属」し、「18世紀からは絹織物工業が勃興し、19世紀には国内で有数の富裕な町となり、欧州を越えて広い販路を持った」市です。
クレーフェルト市についてはこちら
そのなかで、「ライスナー家は町の上層階級を形成する有力商家の一つ」であったのですが、ライスナーの父親だけが官吏の道を歩み、「父ペーター・グスタフ・ライスナー(Peter Gustav Leysner)はベルリンやケルンの裁判所に勤めたのちクレーフェルト市長とな」りました。
その後、父ライスナーは、「35年の長きにわたってクレーフェルト郡長(クレーフェルト市を含む周辺一帯の行政の長)をつとめ」ました。
*クレーフェルト市は、エルメスの創業者「ティエリ・エルメス」氏やフィギュアスケートのイナバウアー創始者「イナ・バウアー」選手の出身地のようですね。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いよいよライスナーは新潟へ
1869年、ライスナーは「横浜でフォン・ブラント代理公使から領事任命書を受け取り」、イギリス蒸気船「オーシャン・クイーンOcean Queen」に乗って横浜港から新潟港に旅立ち、同年、在新潟ドイツ領事館が開設されました。
後半期に移転した後の新潟領事館所在地地図
次回は、ライスナーが着任してからの領事館についてご紹介します。
<参考文献>
『在新潟ドイツ領事館について』(青柳正俊、新潟県立歴史博物館研究紀要 第18号 別冊(2017年))
*当協会会員の歴史研究報告論文から引用しながら、私なりの言葉でご紹介しました。
過去の記事
【クラウドファンディングの記録①】プロジェクト発足 2019年02月06日
【クラウドファンディングの記録②】プロジェクト発足 2019年02月06日
【クラウドファンディングの記録③】まずは私たちのことを知ってもらいたい① 2019年02月14日
【クラウドファンディングの記録④】まずは私たちのことを知ってもらいたい② 2019年02月20日